バックトゥザフューチャーの感想【ドクの記憶の矛盾とオリジナルの家族】

土曜プレミアムで3週連続バックトゥザフューチャーがやっていて、ノーカット版かつ私の好きなマーティが山ちゃん、ドクが青野さんバージョンの吹き替えだったので久しぶりにちゃんと見てみた。

バックトゥザフューチャーは当初1だけの制作だったらしいが映画公開後、人気が出たので続編の2と3が作られたらしい。

そのせいもあってかよくよく考えてみると矛盾点が多い。まあ時間移動ものは矛盾を考えるのも楽しみ方の一つなのでここで個人的に気になったことを書き出してみる。

ドクの記憶の矛盾

主人公マーティにとってドクは2人いる。1の始めのtwin pines mallの駐車場で過激派に銃撃されて死んでしまうドクと、1955年(落雷のあった時代)にタイムスリップしてきたマーティと出会い、銃撃されることを知っていてあらかじめ防弾チョッキを着ていたドクである。

矛盾点はこの銃撃されることを知っているドクついてだ。このドクは最後までまで同一人物なので、1の最後にマーティを未来(現在)に帰したあとすぐに2の終わりで1955年に取り残されたマーティと出会い、3の始めの自分の墓の件や事故で自分が1885年の西部開拓時代に取り残されることを知るのだ。

ということは3の1885年に取り残されたドクは自分の死因やここに取り残されることを知っていたのである。それなのに何故か1885年でマーティから墓の写真を見せられて驚いているのだ。

自分の墓の記憶がありさえすればビフォードに80ドルを払うか防弾チョッキを作るなりして、過激派の銃弾を防いだようにビフォードタネン絡みの事件も防げたのではないか。というのが個人的に気になった点である。

デロリアンが雷に撃たれタイムスリップしてしまった点はドタバタ劇の最中で防ぎようが無かったのかもしれないが、そのあとの銃撃のことならいくらでも防ぎようがあったはずだ。

ただ小さい銃で撃たれ2日間生きていたせいで死亡日を勘違いして油断していたのか、それともその頃のドクはマーティという邪魔者がおらずクララに夢中で、しかも死因を知ったのは30年前ということもあり自分が銃撃されることをすっかり忘れていた、みたいな理由を言われると辻褄が合わないわけでもない。

しかしタイムマシンを作れるほどの天才が自分の死因という人生で1番大事なことを忘れるかというのが疑問である。

でもまあおそらく脚本的にこの方が色々と都合が良い部分があったので、ドクの記憶を無くしたのかもしれない。

マーティのオリジナルの家族

これは矛盾でもなんでもないのだが少し可哀想だなと思ったのでを書き出してみる。

バックトゥザフューチャーの世界では過去を変えると未来が分岐するようにできている。そしてオリジナルのマーティの世界線ではtwine pines mallの駐車場にマーティと仲の良かったドクの銃撃された死体とプルトニウムだけ残されており、マーティはもう別の世界線に行ってしまい存在しないのだ。

マーティから見ればオリジナルの世界を観測出来ないので存在しないのと一緒なのだが、取り残された家族や彼女から見れば、仲の良かったドクの死体と先日盗まれたプルトニウムが置き去りにされていてマーティが行方不明という事件性盛りだくさんの出来事である。

そう思うと家族や彼女が気の毒で仕方がない。

新しい家族と新しい家族と過ごしていたマーティ

矛盾というか設定的に奇妙な話なのだが、1で結果的にマーティの都合の良いようになったマクフライ家にはそこで当たり前のように暮らしていたマーティの記憶がある。つまりこの別の世界線にも別のマーティが家族と普通に暮らしていたはずなのだ。

しかし別の世界線から来たマーティが来るとその世界線のマーティがいなくなるのはおかしいのではないかという単純な疑問がある。

2の話でもビフの支配する現在に行くとその世界のマーティはいないのに、ドクはビフによって精神病院に幽閉されていることになってる。

まあこれも別の世界線のマーティがたまたま外出していて作中で出会わなかっただけと言われると辻褄が合わない訳でもないが。

まとめ

バックトゥザフューチャーは映画自体が面白すぎるのであまり矛盾は気にならないが、気になった疑問や思ったことを書き出してみると、また別の面白さがあるのでまたテレビや配信で見た時に書き出してみたいと思う。