映画「君たちはどう生きるか」の個人的な感想と考察

7月14日に公開された宮崎駿監督最新作の「君たちはどう生きるか」を見ました。

ラピュタや紅の豚のように100%エンタメに振り切っていない今作は、抽象的かつ観念的な描写が多かった為に賛否両論あるようですが私は結構楽しめました。
ただ、かなり謎が残る内容なのにパンフレットは後日発売というネタバレ回避の徹底ぶり。
自分としては思うところが多々あるので、ここで気になったことをつらつらと書いていきたいと思います。

ちなみに私の一番好きな宮崎駿作品は漫画版のナウシカです。映画は気分により変わりますがラピュタともののけ姫が好きです。

※ネタバレあります。

概要

登場人物

牧 眞人
主人公。冒頭の火事で母親を亡くし、田舎にある母の妹の実家に疎開する。女中達と同じ食事をとった際に美味しくないとキッパリ言い切ったり、自身の側頭部を石で殴打したりするなど、口数は少ないけれど芯があり頑固な性格の印象。ただ目的の為には煙草をくすねるなど正義感は低い。義母を認められずにいるが、義母を助けるべく立ち向かう。

眞人の実母(ヒミ)
冒頭の火事で亡くなってしまうが、下の世界で過去から来た若き日のヒミとして登場。火の魔法を使って眞人を助けた後、元いた時代に帰る。

眞人の父
キムタクの声。疎開先でいきなり眞人をダットサンで学校に送るという向こう見ずで独善的な性格。夏子と眞人が行方不明になった際に日本刀を持って助けに行くあたり悪い人ではない。

夏子(マヒトの義母)
眞人の実母の妹であり、眞人の父と再婚して妊娠した。立ち居振る舞いと実家の大きさからしてかなりのお嬢様。眞人と距離を感じている。下の世界の産屋で子を産もうとする。

キリコ(女中)
眞人の時代ではおばあさんだが下の世界ではヒミと同様に、過去の世界からきた若いキリコとして眞人を助ける。鞭を火のついた杖にする魔法を使ったり、巨大な魚を釣ってワラワラの世話をしたりしている。

アオサギ
菅田将暉の声。見た目はアオサギに丸呑みにされたおっさん。大叔父の使いとして眞人を母は生きていると言って下の世界に連れて行く。最終的には眞人と協力して夏子を助ける。

大叔父
塔の主。グレーの長髪と長い髭を蓄えた老人。昔、塔の中へ忽然と姿を消したと言われていたが塔の中で仕事をしていた。後継者を探す為にアオサギを使い、眞人を呼び寄せる。

インコとインコの王
独自の進化?を経て、人や象も食べるという大きいインコ。妊婦は食べない。元の世界に帰ると普通のセキセイインコに戻る。
インコの王は塔の主である大叔父と交渉するべくヒミを捉える。

ペリカン
魚の少ない下の世界ではワラワラを食べるしかなく、最近は飛ぶことも忘れてしまった。大叔父が連れてきたらしい。

ワラワラ
白くて丸い、人間に産まれる前の存在。滋養のあるものを摂取しないと上の世界で産まれることはできないという。

舞台

下の世界
死者と生者の入り混じる世界。陸地は少なく、海ばかりで未来少年コナンの世界のよう。死者は殺生ができないらしい。


空から降ってきた隕石を囲むように大叔父が建てた塔。何処の世界でも同じものがあるらしい。スタジオジブリの暗喩?かもしれない。

時の回廊
恐らく塔の一部にあって両の壁に番号が書かれた扉がずらっと並んだ場所。色々な時代に行くことができる。眞人の時間の扉は132。

墓と墓の門
大きな石が積まれた墓。形はもののけ姫でアシタカとサンが寝ていた洞穴によく似ている。正面に金色の門が据えられているが、横の海からは何も遮るものはないので簡単に近づける。

巨大な船の島
ノアの方舟の様な形をした巨大な船でてきた島。キリコや死んだものやワラワラが住んでいる。ペリカン達はいくら飛ぼうがこの島に戻ってきてしまうらしい。

黒い石が浮いている丘
塔にある石でできた台形の通路の先にある場所。地面には草と石が散りばめられあり、空には宙に浮く巨大な黒い石がある。

あらすじ

書こうと思ったけれど想像以上にわかりにくかったのでwikiに丸投げします↓
君たちはどう生きるか (映画)

感想と考察

父と母の妹の夏子の結婚

冒頭で「戦争が始まって3年目に母が死に、4年目に引っ越した」とあるが、眞人と夏子が顔合わせした際に胎動がわかるほどお腹の子供が大きかった。つまり眞人の父親は母が亡くなって、少なくとも半年以内にはその妹に手を出したのだ。さすが声がキムタクなだけはある。でも現代ではなんて事のない病気で人が死ぬこの時代ではこれが普通の価値観なのかもしれない。

眞人が自身を石で殴打した理由

眞人は疎開先の学校で現地の子供達にいじめられてしまう。ただでさえ良く思われていない余所者が町1番の金持ちともなれば反感を買うのも当然である。そこでいじめられた眞人は自分で右側頭部を石で殴り流血させる。その後、この傷を眞人は「悪意」だと言った。
これは大きな傷をつけることによって父親がいじめに対する罪以上の制裁を下す事を見込んでかもしれないし、または夏子にあなたの所為でこの傷を負ったと思い知らせて困らせる、という2つ理由なのではと考えられる。

母の残したメッセージ

机から落ちた本の中の一冊の『君たちはどう生きるか』。この本の始めのページに書いていた生前の母の書き置きがあり、それがきっかけでこの本を読み始める。読み終えた眞人はナイフと自作の弓矢を持ち、塔の中へ進んでいく。
このシーンで眞人は夏子との関係と、母親の生死について自分なりの答えを見つける為の決心をした精神的成長を描いたシーンだと思われる。

下の世界とは

本作に登場する大叔父は数々の映画を作ってきた今現在の宮崎駿自身と考えられる。そして眞人は幼少期の頃の宮崎駿を描写しているのでは私は思う。キリスト教のような西洋思想、輪廻転生観のある東洋思想、またはプロティノスの流出論のような哲学、そして反戦主義なのに戦争兵器は好きという、一言では到底言い表せない宮崎駿の混沌とした脳内を下の世界として表現し、そこで子供時代の自分に見せてどう生きるかを描いたのだ。
物語の最後には下の世界は崩壊してしまうがそれは宮崎駿自身の終わりを意味し、この映画を通して人生観や価値観を観客に伝えたかったのではと感じられた。

ワラワラは何者か

ノアの方舟のような島の近海で、二重螺旋構造を模して天に昇って行くワラワラ達。これが上の世界では人間になるという。これらは卵や精子だと言われているが、私は名前のないものだと思う。
人間になるのなら精子や卵子という細胞が必要であってその細胞の中にDNAがあり、そのDNAを誰が何の為にどうやって作られたものかは誰も知らない。その名前のないものをワラワラとして表現したのかもしれない。

あと物語とは関係ないのですがワラワラのデザインどこかで見たことあるなと思い調べてみると、YouTubeにある2020年のジブリ美術館の食堂の看板のデザインを決める動画のでワラワラみたいなキャラクターを書いてました。しかもそこでワラワラと名前も明言しています。

宮崎駿 カフェの看板を描く

というか動画でアオサギという言葉も出ているので今見ると結構ネタバレだった。

鍛冶屋でのヒミとの邂逅

ジブリ作品では珍しく肩書きだけ出て登場しなかった鍛冶屋。ここで思い出したのがキリスト教のアダムとイヴの息子達で人類最初の兄弟かつ、人類最初の殺人で有名なカインとアベルのカインの名前の意味は鍛冶屋という意味ということ。そしてカインは農耕民族の祖とも伝えられている。だから鍛冶屋の家の前には小さな畑があったのだ。(あまり覚えてないので自信はないけど)
それに鍛冶屋の家の意匠が千と千尋の銭婆に酷似していて、姉である銭婆と兄であるカインを示唆している1つの要因と捉えることもできなくはない。
もし鍛冶屋がカインだとしたら下の世界は弟を殺した罰で追放されたノドの地のようなものなのかも。

その鍛冶屋の家を占拠しているインコ達に眞人は捕えられるが、ヒミの火の魔法で救われ、ハリーポッターよろしくヒミの家の暖炉の火から出現する。

ここでバターとジャムをよく塗ったパンを食べるのだけど、よく考えるとあの世界のどこにバターやジャムがあったのか。
キリコの家でもパンを食べてたし、ヒミの家ではさらにバターとジャムもある。時の回廊で他の時間軸から取ってきたのか、またはそれを作っている生産者が存在しているのかはわからない。

夏子はなぜ産屋にいたのか

その後、眞人は夏子を迎えに産屋に足を運ぶが、そもそも彼女はなぜ下の世界に産屋があることを知っていたのか。人も象も食べるという化け物じみたインコが住まう塔なのに。妊婦は食べられないと知っていたのか?
一応、眞人を下の世界に連れてこられないポンコツのアオサギを見限って大叔父が直接魔法の力で夏子を連れてきて眞人に下の世界に来てもらった、と解釈ができなくはない。

大叔父の提案と眞人の選択

大叔父と会った眞人の会話で「3日ごとにその13個の積み木を積み上げろ」というセリフがあった。あの13個の積み木は宮崎駿自身が監督した映像作品13本を表しているのかと思う。
積み木を通してジブリ映画の後継者として、宮崎駿の代わりとして映画を作れという要望。大叔父の感覚で1日が1年とすると、ナウシカから風立ちぬまで大体2〜4年の制作日数なので平均して1本3年として映画を制作する後継ぎを据えたかったのだ。
だとすると「これで1日は持つ」というセリフも1年くらいは今作の映画上映でジブリは存在し続けるがそれ以降の保証はできないという意味か。

この要望に眞人は首を縦には振らなかった。
眞人は積み木に対して「それは積み木ではなく墓石だ。悪意がある」と発言して去り、2度目に対峙した時に「この世界にいるより元の世界で友達を作りたい」と言った。
この選択に私は漫画版ナウシカの最後のシーンを思い出した。人工的な浄化によって世界を再編して理想の世界を作ろうと企てる旧人類に、ナウシカはどんなに闇が深くともその闇の中で艱難辛苦に耐えて生き抜くことこそ生命に価値があるのだと説く。
本作でも下の世界で神として悪意のない世界を作るか、たとえ悪意に満ちた現実でもそこで生きようとするかの2択に、現実で生きることに眞人は価値を見出した。これは宮崎駿監督の決してブレない信条なのだと感じた。
あとメタ的に眞人の選択はスタジオジブリに宮崎駿の正統な後継者が現れなかったことの比喩か、それとも宮崎駿は宮崎駿自身でなければならないが、もう生い先の短い監督としてこれ以上は無理だという意味にも捉えることができる。

その後インコ大王が怒って積み木を切り、下の世界が崩壊する。

眞人達は元の世界に帰る為に時の回廊へ行き、ヒミは別れを告げる。その時眞人は扉の前で元の時間軸に帰る際に、火事で死ぬ運命のヒミを強く制止することができない。何故ならそれを含めて眞人の選んだ選択なのだから。
もしも眞人が大叔父の仕事を継いで下の世界を維持すれば、あの時母は死なずにすんだかもしれない。でもそれは眞人、改め宮崎駿監督と信条に反する選択なのだ。
そして眞人と夏子、ヒミとキリコはそれぞれ元の時間に戻り塔は崩壊する。

ここでひとつ思ったのだが眞人が時の回廊から自分の時間軸に戻ってその後塔が崩壊してたけれど、それなら眞人にとって過去の存在のヒミとキリコが元の世界に帰った時間でも塔が崩壊していないとおかしい。けれどそれでは現在の眞人と夏子は塔に入ることはできずに、下の世界は崩壊しない。単純なタイムパラドックスか、または流行りマルチバースなのか。

アオサギとはなんだったのか

物語の最後に崩れた塔から脱出した眞人とアオサギ。他のインコやペリカンは普通の鳥として上の世界に戻ってきたのに、アオサギだけはおっさんの姿のままで記憶もそのままにどこかへ行ってしまう。
考えられるのはアオサギは別の下の世界の住人ということ。アオサギが消えるシーンは一度ヒミと眞人がインコから逃れる為に、時の回廊から上の世界に戻って来た時の消え方に似ている感じがした。アオサギだけは別の世界の時の回廊を行き来できる存在なのかもしれない。

気になったところ

登場人物の行動原理

キリコとヒミの行動原理が不透明。キリコとヒミはなぜ下の世界でワラワラ達の面倒をみたり、墓守や漁師のような生活をしているのか。上の世界から来たのにまるっきり下の世界の住人として染まってしまっている。
そしてインコの王が積み木を切り、下の世界が崩壊しても悲しむ様子など一切なく、淡々と時の回廊の前まで足を運んでそのまま元の時代に帰るのでそこが少し気になった。

声優

全体的に声優の演技は可もなく不可もなくという印象。しかしヒミ役のあいみょんが抑揚のない声で少し気になったが、風立ちぬの主人公と聴き比べたら全然マシだった。

音楽

米津玄師の主題歌は千と千尋やもののけ姫のようにビタッとハマっている感覚は得られなかった。曲を単体で聴けば良い曲なのだけれど、今作のエンディングに合うかどうかと聞かれると答えに困る。「この道が続くのは続けと願ったから」という歌詞が好き。

プロモーション

世に出す情報はポスター1枚で他は一切の宣伝をしないという今作の方針。
それなのに今現在人気のある菅田将暉やあいみょん、エンディングに米津玄師を起用するというチグハグな印象を受けた。まあこれは宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーの方向性の違いで起きたものっぽいが。

最後に

アホな私の頓珍漢な感想と考察を、ここまで読んで下さりありがとうございました。ただ思ったことを書き殴っただけの考察とも呼べない内容になってしまいましたがこれで終わりとします。
私のしょぼい知識ではこれくらいしか自分を納得させるこじつけを書けませんでしたが、誰かの疑問の一つのヒントになれば幸いです。

本作は今までジブリ作品とは一線を画した雰囲気で、純粋に面白いつまらないの一言で片付けられるものではないと感じました。色々な意見があるようですが、恐らくは宮崎駿監督の作品が好きでその思想に触れたいと思っている人なら面白く感じるはずです。

私は映画館があまり好きではないのでジブリの作品を映画館で鑑賞するのは初めてだったのですが、あの映像の迫力と没入感は一見の価値がありました。宮崎駿監督ももうかなりのご高齢ですが次作があるならまた見に行きたいですね。